私は心理士で、特に教育や子育て、子どもの発達が専門なのだが、どうもこの「教育」と「子育て」という言葉が苦手である。
この言葉にはどこか上からの強制感というかトップダウン感を感じてしまう。だから好きじゃない。みなさんも「教育ママ」とか「子育てのプロ」とか聞くとちょっとだけ違和感を覚えると思うのだが(多分)、その感覚を私は「教育」「子育て」それから「育児」という言葉を見ただけでも感じ取ってしまう。
私は二人の子どもの父でもあるので、いわゆる「子育て」もしているのだが、自分の中で「子育てをしている」という認識を持ちたくない。だから私は「子どもの世話をしている」「子どもの面倒をみている」という言い方をする。「今日はワンオペ育児だ」ではなく、「今日は一人で子ども二人の世話をしなければいけない/面倒をみなければいけない」という表現をするようにしている。
「教育」「子育て」「育児」という言葉には、どこか大人が子どもを管理、抑圧するニュアンスが含まれていると思う。一方で「世話をする」「面倒をみる」というのは子どもが主語でその命を守る、子どもに振り回されるニュアンスがあるように思う。私はこれがいい。というか子どもがいる生活の実態は「世話」「面倒」という表現の方が近いのではないか。
それいいな、と思った方はぜひ私と同様に「子どもの世話をする」「子どもの面倒をみる」という言い方を採用してほしい。
この感覚はわりと西洋の感覚と近いようで、西洋では日本で言うところの「子育て中」「育児中」の人のことを「ケアギバー」と呼ぶ。直訳すると「世話を提供する人」だ。この言葉は子育て、育児の文脈から離れ、病気の人や高齢の人、苦しんでいる人にケアを提供している人に対しても使われる。
これは私見だが、日本における子どもは「ケアの対象」というより「教育の対象」と捉えられることが多いのではないだろうか。その姿勢は批判されることではない。直近の国際学力調査においても日本は他国と比べて高い得点を取ったことが報告されている。(参照:主要3分野で日本1位=国際学力調査、OECD加盟国―短文読解苦手、低得点層が増)
一方で日本においては子どもが家事を手伝う時間が短いことも報告されている。心理学者・教育学者の柏木惠子は『子どもが育つ条件』の中で便利家電が家庭に普及された頃の欧米と日本のちがいについて書いている。曰く、欧米では「これで子どもたちにも家事を手伝わせることができる」という捉えだが、日本では「これでお母さんの家事が楽になる」という捉えであるということだ。
ここに潜むジェンダーギャップの話はまた別で書くとして、日本においては子どもはとにかく「勉強させる存在」「教育する存在」という位置づけであることが示唆される。
現代はどうだろう。以下にChatGPTを使って調査、作成した日本と諸外国の勉強と家事の時間の比較表を添付する。
このまとめを見ると、日本や韓国は他国に比べて子どもが勉強に費やす時間が多く、家事に費やす時間が少ないことがわかるだろう。
これらのデータを見ても、日本においては子どもは教育する存在であるとみんなが捉えているということが一定の説得力を持って理解されると思う。
なぜ、私がここで子どもの家事時間を引き合いに出したかというと、こういった家庭での家事時間の少なさ、つまり家庭での子どものケアワーク体験が、自分たちが子どもを持った時に強く響いてくると思ったからだ。
子ども時代に親から「教育」を提供された子どもたちは、自分が親になったときも子どもに「教育」を提供するだろうことが容易に想像される。なぜならそういった親子の形しか経験していないからだ。
自分が子ども時代から勉強ばかりして家事を担わなければ、子どもに対しても勉強ばかりさせて家事を担わせないでいい。かつての男女格差が大きく、女性の「嫁入り修行」が当たり前だったころは、お母さんが家事のほとんどを担っていただろうが、今の親世代は女性であっても働くことが当たり前になったので、家庭でのケアが追いつかない。だから子どもたちには塾でお勉強をしていてもらい、その他の家事は仕事から帰ってきた「母」が行うというのが当たり前になっている。日本では一日の家事労働に費やす時間は女性が男性よりも約3時間も多く行っているという調査がある。男性家事しなさすぎだろ。
親が子どものケアをするというのは、子どもが将来誰かをケアする役割になることを促す意味でも重要なことである。
「教育」「子育て」という言葉を無意識に使ってしまうと、言葉に引っ張られて子どもとの関わりからケアの視点が抜けてしまう(実際はめちゃくちゃケアをしているにも関わらず)。それが結果として家庭でケアワークをしない人間(男性)を再生産することにもつながる。
この記事を読んで危機意識を感じた方には、子どもとの関わりを「世話をする」「面倒をみる」と表現することからはじめてほしいと今一度お願いして、記事を閉じようと思う。


